うさ日記

憂さ晴らしに書くのかもしれません

お気持ち表明。

実写化という言葉を、凶兆と捉えるようになったのはいつからだろう……?

 

4/13の朝、起き抜けに日課Twitterチェックをしていたところ驚くべき文章が網膜に飛び込んできた。

Netflixガンダム実写化」

 

……夢を見ているらしい。それも、中々の悪夢である。たった1ツイートの情報量に、これほどまでに辟易させられたのは初めてかも知れなかった。辟易ポイントは

・実写化するのか……

・「機動戦士ガンダム」をやるのか……

・お前がやるのか……

の3つである。ゲンナリするサザエさんの次回予告みたいだ。それでは一つずつお気持ち表明していこう。

 

・実写化するのか……

 

実写化して成功した作品を一つあげよ、と聞かれれば、るろうに剣心と答える。実写化して成功した作品を三つあげよ、と聞かれれば、無印るろうに剣心、京都大火編、伝説の最後編と答える。それが私の実写化に対するイメージである。ジョジョハガレン進撃の巨人デビルマン、その他諸々実写化でコケた作品数あれど、成功例はあまりに少ない。というかこれはあまり知られていないことだが、ガンダムはその40年以上の歴史の中で実写化も海外版も経験済みなのである。そしてどっちもコケた。これで両方の要素を兼ね備えれば成功すると思えないのはむしろ自然だろう。負の値と負の値でかけ算したから正の値!とはならない。現実は足し算なのだ。

 

・「機動戦士ガンダム」をやるのか……

 

何を当たり前のことを言っているんだお前は!と思われるかも知れないが、これは重要な問題である。皆さんはご存知ないと思うが、実はガンダムの名を冠する作品はその殆どが相互に関係していない、独立した作品なのである。どういうことかというと、お馴染みの白地に赤青黄色の1番有名なガンダムは最初の作品にしか出てこないのである。

しかし考えてみてほしい。貴方がこの映画の制作側だったとして、1番有名な「あの」ガンダム以外を全面に押し出すようなリスキーな真似をするだろうか?いや、しないだろう。これは実写版ポケモンが、過去のポケモン作品と密接な関わりはないにも関わらずピカチュウを中心に据えたことからも分かる。まず間違いなく同じ道を辿る。

しかしここでガンダム特有の問題が発生する。ピカチュウは沢山の個性豊かなピカチュウが居ても問題ないが、「あの」ガンダムは残念ながらあれっきりなのだ。つまり、あれっきりのガンダムを中心に据えるには原作に沿った作品にするか、何らかの理由をつけて同じ見た目の別のガンダムが出てくる正当性を着ける必要が出てくる。それではこの分かれ道がどちらも荊で舗装されていることを説明していこう。

まず原作通りにするパターン。一言で言えば不可能である。原作アニメの劇場版が三部作であるにも関わらず、実写化して3分の1の時間でまとめる?出来ると思うなら大したアホだと言うほかない。また、時間的な問題を抜きにしても、原作である機動戦士ガンダムはストーリーも人間関係も難解である。下手な改変なぞしようものなら、初見視聴者は置いてけぼり、過激なファンから宣戦布告されること間違いなしである。悪いことは言わんからやめとけ、というのが正直なところである。

と言うわけで残る道は何らかの理由をつけた新規世界観ということになる。しかし、ここで最後の問題が立ち塞がるのだ。新たな世界観を描くなら、監督の質に左右されるのは避けられないからだ。

 

・お前がやるのか……

 

ここで言うお前とは、ジョーダン・ヴォート=ロバーツ氏のことを指す。ジョーダン氏の代表作は「キングコング:髑髏島の巨神」である。まぁ、ダメな映画ではない。この映画の、というか同作を含む「GODZILLA ゴジラ」を初めとしたモンスターバースシリーズ全体の特徴として、怪獣同士のド派手なアクションを中心に邪魔にならない程度のストーリーや人間関係を添える、という感じがある。これは同じゴジラのリメイクである「シン・ゴジラ」とは根底から異なる方針である。「シン・ゴジラ」の庵野監督は真面目な、真面目に過ぎるほど真面目な人間であるが故に、単なる映像作品として現代の大衆が楽しめるように仕立てつつ、それでいて原作にあたる初代ゴジラのテーマや主張といったものを違えずに現代に合わせて出力してみせた。個人的にはもっと庵野秀明監督の「らしさ」を見せて欲しいが……まぁそれはそれとして、より正しく原作へのリスペクトを込めた作品と言える。とはいえ、怪獣映画としてはジョーダン監督もある意味で正解と言えるだろう。

だが、機動戦士ガンダムに対してそういう態度で臨まれては困る。前述した通り、複雑なストーリーと人間関係はガンダムの醍醐味である。MS(ガンダムをはじめとしたロボットのこと)の戦いは、それを盛り上げる舞台装置と言っても過言ではない。そして何よりも、ガンダム作品にはそのほぼ全てを通じて一貫するテーマがある。それは、「戦争を描くことを通じて、戦争の愚かさを説く」事である。これを欠くというのはネタのない寿司、肉のないバーベキューのようなものだ。正直庵野監督にもやって欲しくないが、どうせやるならそういう深みを作れる監督にやって欲しい。

実写版ガンダムは、なるほど確かに映像体験としては大いに期待できるだろう。だが、それだけではガンダムではないのだ。そしてはっきり言わせて貰えばあの監督が派手な映像以上のものを、ガンダムを作れるとは自分には思えない。

 

以上の考えが起き抜けの自分の脳内を駆け巡り、そのもどかしさからこうして長々と口まで書き連ねてしまった。奇しくも今日、原作機動戦士ガンダムの監督である富野由悠季監督が手がけた最新のガンダム、「Gのレコンギスタ」総集編映画第三弾の公開日が発表された。コロナでずいぶん長い間音沙汰が無かった同作の久方ぶりの嬉しい報告がなければ、ションボリ1日を過ごすところであった。

というわけで、正直期待できない実写ガンダムには高望みをしないことにしたのだった。機動戦士ガンダムの記念すべき第1話「ガンダム大地に立つ!!」ではないが、自立できればそれで良しとしよう。

コケなければ、それで。

 

 

P.S このブログは、10年以上音沙汰のない劇場版機動戦士ガンダムSEED西川貴教さんを応援しています!