うさ日記

憂さ晴らしに書くのかもしれません

5について。

5…5…5機のガンダムガンダムSEED…嘘です。流石にそれはしません。でもサイクロプスが起動した時のパイロット破裂シーンはグロかったですよね。

 

さて、5です。

早速ですが皆さんにクイズです。犬公方と呼ばれ、生類憐みの令で知られる徳川第「五」代将軍は?

 

 

徳川綱吉ですね。まぁ義務教育レベルの簡単な質問でした。ちなみにしておいていうのもなんですが、私はこの「〜をした人は誰々」という覚え方は身にならないと思います。なぜ、どのように、が欠けていては理解したとはいえないのではないでしょうか。「この事件の犯人はお前だ!」だけしか言わない探偵物とか意味ないでしょ。

 

というわけで、今回は動物愛護的な話をしようかと思います。

まず初めに。私は自分の共感できないものを調べるのが好きです。うーん隙あらば自分語り。よく日本語では一緒くたにされがちですが、私は理解と共感は全くの別物だと思います。その人の言っていることに筋の通った理屈があると思えるか否かが理解の是非であり、その人の言っていることを自分が感情的に肯定できるか否かが共感の是非だと思います。例えば私は洋菓子が好きな人の言っていることに共感はできませんが、甘くて美味しいというのは理解できるといった具合に。

 

その共感できないものを物色していた際に、ヴィーガンという人々のことを知りました。ヴィーガンとは日本語で言うと絶対菜食主義となるそうですが、調べた感じ一概にそうとは言えないようです。ヴィーガンを標榜する人の中でもそのストイックさは千差万別で、一切動物を利用した製品も肉食もしないよ!という人もいれば、極力減らすよ程度の人も居るようでした。

 

ヴィーガニズムの根幹にあるのは、これもまた人によって言っていたことが違ったのであくまで私の所感に過ぎませんが、動物にも権利がある!という考え方です。動物は人間と同じように苦痛や喜びを感じるのだから、人間と同じように苦痛を受けず幸福で居る権利があるということですね。

 

この考えに基づき彼らは生活しているわけです。特に欧米では盛んで、ヴィーガン用のレストランなどもあるそうですね。私は高校時代に食べた精進料理に対し「野菜なんだったら正直に野菜の姿で出てこいよぉ!肉のフリなんかしねぇでよぉ!!」と憤った思い出があり、精進量には対する苦手意識があるのですが、こういったレストランには少し興味があります。

 

と、ここまでが理解した事です。前述した通り、私はヴィーガンに対しなんら共感できません。私にとって権利とは、痛みや幸福を感じるという能力があるから与えられているものではありません。人は他者の自由を害さない範囲で最大限の自由という権利を持つ、というのが私の理想とする社会理念であり、この「他者の自由を害さない範囲」を具体的に定めたものが法だと思っています。その点、日本は結構良い社会なんじゃないかと思うんですがまぁそれはそれとして。例えばライオンはお腹が空けば私を食べるでしょう。これは私の身体の自由を害します。アライグマが私の畑の作物を食い散らかせば、それは私の財産の自由を害します。動物たちは我々の社会におけるルールを守らない、故に人間と同じ権利を持つには値しない…、という事です。

 

てな感じで「ああ〜理解できるわ〜」「いやそれは共感できんな〜」みたいなことを日々調べてるわけですが、その考えがどんなものであるかによらず大切なことがあります。それは、「※個人の感想です。」という事です。私の考えは私の考え。ヴィーガンの考えはヴィーガンの考え。そこに上下関係も、どちらが正しくどちらが間違いという事もありません。ただ、違うのです。個人の主義思想は絶対不可侵、もし許容できないような人がいれば、そっと離れれば良いのです。勿論、法に触れたら駄目ですけどね。

 

そう考えると社会というのは非常に面白いですね。例えば日本社会ではほぼ全員がごく自然に資本主義を受け入れています。そういう意味では一様なように見えますが、反面細かな差異は内包されたままです。ジャンプ派マガジン派、たけのこ派きのこ派…。本当の意味であらゆる主義主張が一致する他人など存在しません。これをあくまで人は孤独だと捉えるか、それともその揺らぎに人々の相互理解の可能性を見出すかは貴方、そして私次第なのでしょう。

 

そんな事を考えた1日でした。