うさ日記

憂さ晴らしに書くのかもしれません

6について。

現在2/6日が残り45分を割り大変焦っております。それもこれもエースコンバット7が面白いのが悪い。あっこれ明日書けば良かった…。

 

さて、6です。

今日一日私自身の中で6について色々連装ゲームをしてみたのですが、何故かダイヤモンドが連想されました。何故でしょうね?記憶が定かなら黒鉛は正六角形の層構造で、ダイヤモンドは正四面体のみで構成されたような見た目だった気がしますが。

 

ともあれ時間もありませんので、ダイヤモンドから話を広げていくとしましょう。ダイヤモンドというと宝飾や工業ばかりに目が行きがちですが、最近は面白いところでもその名前を聞くようになりました。葬式です。遺骨、遺灰などからダイヤモンドを作り、故人を偲ぶ気持ちを永遠のものにする…。なんとロマンチックなんでしょうか。まぁ私がこれを知ったのはMetal Gear Solid V なんですけども。

 

しかし、人は何故葬式を行うのでしょう。火葬だろうが土葬だろうが、ダイヤモンド葬だろうがなんだろうが、ともかく私の知る限り世界中のあらゆる文化圏で死者を弔う行事が行われています。アフリカの方では故人の肉を食うとかあったような気もしますね。それが原因で感染症が広がったとか。…脇道に逸れました。

 

私は未だに葬式というものに出席した事がありません。というより、身近な人の死に直面した事がありません。ですので、実体験としては何故葬式をやるのか分かりませんし、人の死を弔う気持ちもその思いも知りません。しかし、愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶというビスマルクの言葉にもあるように、人は自分の経験以外からも学べるはずです。私も出来れば賢者になりたいので、ここは他者から情報を取り入れるとしましょう。

 

そこで思い出したのが…ガンダムなんですね〜ガンダムなんですよ。「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」という作品がありまして、その中で主人公達が仲間の葬式をやる、という回がありました。

 

当初、主人公達の意見は割れます。「葬式をすることで死んでいった仲間達の魂が安らかに眠れるなら、したい。」「いや、葬式なんて金が余計にかかるだけ、今はそんなことをしてる場合じゃないだろう。」一度は反対派の意見が通りますが、その後外部のキャラクターが反対派のキャラクターにこう言います。「葬式ってね、生きてる人のためにもあるのよ」と。

 

葬式は故人がメインです。しかし、故人がそれで喜んだり悲しんだりする訳ではありません。生きている人間が、亡くなった人に対するいろんな想いに区切りを付ける為の行事。それが葬式なのでしょう。そしてそれは世界中の、どんなに異なる文化圏の人々にもおおよそ共通する思いなのかも知れません。さながら世界中に点在する鳥類が、その分化の際に得たであろう「翼を持つ」という点で共通しているように、世界中で発生した全く異なる文化が「弔う」という点で共通しているのは、それが人間の文化・社会にとって極めて原始的な過程だからなのかも知れませんね。いやむしろ「弔う」という、一種の喪失による共感から社会が形成されたのかも知れません。もしそうだとしたら、とてもロマンチックではないですか?

 

そんなことを考えた1日でした。