うさ日記

憂さ晴らしに書くのかもしれません

777について。

シナリオアートさんのナナヒツジっていい曲ですよね。KANA-BOONのtalkingと合わせてどうぞ。

 

「もしかしてご飯を作る前の時間にブログを書けば時計とチキンレースしなくて済むのでは…?」と7日目にしてようやく気づきました。偉い。そんなこんなで午後7時ごろに書いているのですが、今度は炊飯器とチキンレースしています。偉くない。

 

さて、7です。

7といえばラッキーナンバー、なんとなく幸運のイメージがある数字ですね。私も一盃口見据えつつ最終的に七対子でテンパったら八萬より七萬で待ちます。素人なのでこれで合ってるかは知りませんが。むしろ麻雀なら中国の考え方に則って、末広がりで縁起が良いとされる八で待つ方がいいような気もしますね。

 

それはともかく。ラッキーとはなんでしょうか。人はよく「幸運」という言葉を使います。運良くテストの山が当たった。幸運にも事故から生き残った。そして逆もまた然り。運悪く先生に見つかった。不幸にも犬のフンを踏んだ。ですが、運などというものが本当に存在するのでしょうか?幸運や不運を言い訳にするとき、私たちはそれ以外の結末を知りません。今目の前にある結果が運に左右されたものなのか、それともそれ以外の要因によるものなのか。それは本来複数の結果が無ければ判断し得ない筈です。しかし私たちは運という言葉で処理してしまいます。

 

多分、運って言い訳なんですよ。良かったことに対しても悪かったことに対しても、それら全てが理屈で説明できて欲しくない、不確実性があって欲しいという願いなんですよ。そういう優しさみたいなものが運なんだと思うんです。

 

そんな事を考えてたら結局この時間になった1日でした。