うさ日記

憂さ晴らしに書くのかもしれません

羅生門と70年。

このタイトルを読んでこれを読んでいる貴方は、もしかするとこんな疑問を持っているかも知れない。芥川龍之介羅生門は1915年発刊なので「〜と105年」とすべきではないか、と。だが安心して欲しい。今回の羅生門は1950年の黒澤明監督作品「羅生門」であるからだ。

 

平安時代。大雨から逃れるため荒れ果てた羅生門に訪れた男は、同様に雨宿りに来た杣売りと坊主の言う世にも恐ろしい話を暇つぶしに聞きたいと言い出す。2人が話し出したのは2人が証人として呼び出された殺人事件の顛末であった。その事件の当事者は3人。京に名を馳せる多襄丸という盗賊、殺された武士、その妻。しかし、彼ら自身の口から語られる事件の内容はそれぞれ大きく異なっていた…。

というのがあらすじである。ちなみに、殺された武士はイタコに降霊術で呼び出されて出廷した。まぁそんなファンタジーは些事だ。ここまで読んだみなさんも同様にお思いの事だろう。「下人はどこ行った」と。そう、そうなのだ。この映画には下人も老婆も出てこないし、ニキビをいじったりもしないし、そもそも羅生門の二階に上がらないのである。そう!名にし負う黒澤明監督の羅生門とは昨今溢れる原作無視の映画化作品の祖先だったのだ!…と決め付けるのは早計である。そもそも、そうだったらこんな文章を書いてはいない。この文章を書いているのは、羅生門がやっぱり羅生門だったからである。

 

原作の羅生門を読んだのが随分前なので記憶はあやふやだが羅生門は自分さえ騙す嘘というか、利己主義という意味でのエゴの如何を問う作品であったように思う。初めは盗賊に身をやつす覚悟のなかった下人が悪行を働く老婆に対してなら悪を働くのも仕方ないと自己を正当化するのは利己的な考えの現れだろう。その点で映画羅生門もまたエゴの物語であった。実は映画を最後まで見れば本当の時間の全容は分かるのだ。そしてそれはお察しの通り、当事者の3人の語ったどれとも異なるのである。彼らは各々が各々をより良く見せようとして、見栄を張っていたのだった。映画の最終盤、雨宿りをしていた男は言う。しょうがねえじゃねえか、こうするより他に生きていけないんだから。お前らだって同じじゃないか。原作の羅生門で示された人の利己的な心。それが下人のみならず、あらゆる人にあるのだとこの映画羅生門は伝えたかったのではないだろうか。

 

ここで視点をスクリーンの外に向けてみる。羅生門が上映された1950年。これは朝鮮戦争が始まった年である。日本が敗戦後の焼け野原から立ち直るきっかけとなった朝鮮特需。それがもたらされるまでの教科書の上ではほんの数行、しかし確実にあった5年のタイムラグの間にこの作品は撮影された。この時の日本の有様を考えれば、それはまさしく荒れ果てた平安時代の京都と同じだと言えただろう。治安の悪化、闇市の横行…。世の中が荒れる中で、人の心もまた平安時代のそれのように利己的な側面が露わになっていったのではないだろうか。その時代に警鐘を鳴らすため、こうして羅生門が撮影されたのだろう。

 

転じて、今の私たちはどうだろうか。インターネットの網が地球を幾重にも覆い、SNSにはそれぞれに都合の良い真実が飽和している。私たちは手のひら大の端末を通して世界中を利己的な色眼鏡で見渡している。老婆から服を剥ぎ取る必要も闇市で食べ物を盗む必要もなくなったが、私たちの中の自己正当化の心は些かも変化していない。70年の時を経てなお映画羅生門の問いかけが全く風化していないのは、黒澤明監督の先見の明のみに依るのだろうか?

 

映画羅生門のラストシーンで、この世の善とは何なのか分からなくなってしまったと言う坊主は杣人のある行動に希望を見出す。私たちは現代にどんな希望を見出していくのだろうか。