うさ日記

憂さ晴らしに書くのかもしれません

2120

今回は現在劇場上映中の映画、「1917」についての話から入ろうと思う。

 

1917は第一次世界大戦中のイギリス兵達の物語だ。2人のイギリス兵は伝令兵として、明朝までに友軍へと攻撃中止命令を届けろとの命令を受ける。しかし、その道のりは険しいものだった…。

 

ぶっちゃけると、良くあるような話だ。…いや具体的に似たような作品名が思い浮かぶ訳ではないのだが、とにかくストーリーに関して目新しいものは無い。そもそも大抵の戦争モノはランボーとかジョン・ウィックみたいな奴がバカスカ撃って解決する英雄系か、或いはリアリティを追求した戦場を演出し、悲壮感溢れるような無名英雄系のどちらかに分類しうる。そして、1917は間違いなく「ありふれた」無名英雄の物語だ。アカデミー視覚効果賞を取った映画がありふれた映画か?という疑問もあるかも知れない。確かにリアリティの追求は凄まじく、兵士の装備や塹壕などのセットは記録映画かと見紛うような雰囲気を醸し出しているが、それはあくまで技術の進歩であり、そのうち更にリアルな映画が作られる事だろう。

 

では何が1917の最大の特徴なのか?それは、ご存知の方も居ると思うが全編ワンカット、つまり一度のカットも挟まない映画であるという事だ。学生サークルの短編映画ならいざ知らず、1917は2時間映画である。これが1917を唯一無二の、少なくとも自分にとっては、映画たらしめている。

 

上映前、自分はこう考えていた。「カット編集がないという事は途切れなく映画が進むという事だから、見る見る内に展開してあっという間の2時間になるのでは?」と考えていた。

 

誤りだった。

 

疲れた。ただ疲れた。映画が終わった後、去来したのは途方もない疲労感だった。椅子に座っていただけにも関わらず、足に長距離を走ったかのような重さがあった。そう、丁度劇中の経過時間である一晩の間走ったかのような、だ。

 

ワンカット映画には切れ目がない。それは、実際には、「休み」がない事を意味していた。最前線の塹壕から顔を出す時、無人地帯の砲弾跡と死体の中を歩いて行く時、常にあの、耳をつん裂くようなセミオートライフルの銃声が響き渡るのではないかと怯え続けるのだ。その緊張感が2時間続く。気付けば、自分は劇中のイギリス兵と同等か、それ以上に怯え、疲弊していた。これまでも映画はいくらか見てきたが、これ程までに登場人物とシンクロした事はない。

 

自分は、1917が真実唯一無二たる点があるとすれば、それはこの疲労ではないかと思う。戦争の悲惨さを描いた映画は数知れないが、それはあくまで第三者的に戦場を見るだけでしかない。だが実際には戦争が歴史にとってではなく、個人にとって悲惨であるのは、それがただ疲労しか残さないからなのではないだろうか?自分がどんなに頑張っても、或いは頑張らなくても、自分にはどうしようもない次元で戦争全体が動いていく。塹壕の緊張感に耐え、両軍の砲弾が頭上を飛び交うのを見ながら祈り、そして不衛生で湿った地中で、まさに泥のように寝る。その繰り返し。…そう伝記やインタビューには書いてある。詰まるところ戦争は、私達にとっては悲惨だが当事者である兵士達にとっては極めて最低の日常であり、よってただ悲惨なだけでなく疲労感を伴ってこそ真に戦争映画と言えるのではないだろうか?

 

思い出した事がある。百年前新聞というTwitterのアカウントをご存知だろうか?その名の通り、百年前にあった出来事を報じるアカウントである。自分は高校生の頃にこのアカウントをフォローしたのだが、あるツイートが強烈に印象に残っている。第一次世界大戦終戦の報道である。大学からのいつもの帰り道でこのツイートを見たのだが、目に入った瞬間景色が停止したかと錯覚した。それほどの衝撃だった。終戦の日を知らなかった事が、ではない。私が高校生として生活し、授業を受け、部活をし、友達と遊び、高校を卒業し、浪人し、勉強し、ストレスによる暴食で太り、志望校に落ち、実家を出て新生活を始め、食生活が改善されて痩せ、大学で講義を受け、こうして家に帰る。この色とりどりの期間が、全て戦争であった時があったのだ、という事実にである。

 

第一次世界大戦は1914〜1918まで続き、1600万人の犠牲者を出した。」文に直せば、たったこれだけのことである。だが、これらの数字を覚える事は戦争を知る事を意味しない。だが、映画館の客席で、或いは大学からの帰り道で、自分は真実の一端を垣間見た気がする。

 

最後に、ふとこの文章を書いている時に思った事を述べる。百年後、2020年はどの様に伝えられているのだろうか。2120年の私達は、百年前をどう振り返るのだろう。叶うなら、疲労なく学べる歴史を紡いでいきたいと思うばかりである。