うさ日記

憂さ晴らしに書くのかもしれません

3について!!!

皆さん、3といえば!?もうピンときてますね?来てない!?このブログのURLをもう一度ご覧になってください!そう、いや三千五百九十四ではなく!さん・ご・く・し、三国志ですよ!!!

 

さて、3です。

三国志は紀元200年ごろが舞台の歴史書ですが、一口に三国志といっても種類があります。紀元200年代に陳寿という役人がまとめた史実に忠実な歴史書三国志」と、後に作られ物語として完成度の高い「三国志演義」の2つです。

 

これら2つは前述の通りその描かれ方にも大きな相違があるのですが、他にも大きな差があります。主人公が異なるのです。「三国志」では魏の曹操が、「三国志演義」では蜀の劉備が主人公として描かれています。今回はこの2人に焦点を当て、人の理想の姿についてお話ししたいと思います。

 

この曹操劉備ですが、彼らは共に三国志の三国の一角、それぞれ魏と蜀を一代で築き上げた君主です。曹操は単なる1役人から、劉備は貧しいむしろ売りの身からのし上がったのですから、これはもう凄まじいことです。しかし、彼らの辿った道は大きく異なっていました。

 

2人の人生の大きな転換点にして三国志の始まりは黄巾の乱と呼ばれる反乱でした。当時の王朝は政治が腐敗し弱体化、旧来の中央集権体制を自力で維持する力はありませんでした。そこで中華全土で多くの野心溢れる武将たちが立ち上がったのです。その中に彼らの姿もありました。

 

曹操は親族とともに挙兵し順当に手柄を立てて行きます。その後その功を認められて昇進した彼は冷酷なまでのカリスマで臣下を纏め上げ、遂には中国の北半分を占める巨大な帝国に君臨しました。

 

対する劉備関羽張飛の2名と義兄弟の契りを交わし(これが有名な桃園の誓いです)、義勇兵として立ち上がります。しかし、役人でもない彼らはその目覚ましい功績を認められることなく、地方の閑職から果ては浪人の身にまで追いやられます。しかし、それでも劉備の人を惹きつけてやまない人徳のなせる技か、かの諸葛孔明に代表される優秀な人材が彼の元に集まり、遂には中国の南西部に蜀を建国しました。

 

このように、彼らは共に一代で登りつめ、多くの優秀な人材を従えましたが、そこには「カリスマ」と「人徳」という違いがあります。これらは現代でいうところ「リーダーシップ」と言えるでしょう。

 

カリスマはどこまでも冷酷に、その能力で人を判断します。それはその人間の出来不出来を見抜くと同時にその行動をも手中に収めるという事です。例えば、曹操劉備から徐庶という軍師をヘッドハンティングする際、彼は徐庶の母を人質に取ります。これは徐庶という人間が母を裏切れないと確信した上での行動でした。これは情に流される劉備にはできない事です。

 

反面、人徳はどこまでも感情的に、その人格で人を信頼します。それはその人間を信頼すると共に、一人一人に親身になるということでもあります。例えば彼の義兄弟である張飛は酒で失敗しているのですが、その際も過剰に責めることはせず、彼の本心からの謝罪を受け入れています。曹操だったら下手したら殺してます。

 

さて、ご存知の方がほとんどだとは思いますが、私の母校では事あるごとにリーダーシップが云々と言われていました。曰く、リーダーシップを育んで人材育成がなんたらかんたら…。要するに集団をまとめる存在が社会では価値ある存在なので、そうなってね!という事なんでしょうが、この集団のまとめ方は結局のところ「曹操型」と「劉備型」に分かれるでしょう。人の頂点に立つのか?それとも人の中心に立つのか?これはピラミッドにも例えられる人間関係の階層構造という円錐を横から見るのか、それとも上から見るのかという問いでもあります。

 

まぁ、リーダーシップって柄じゃないし、どうでもいいか…と思ったそこのあなた。ところがぎっちょん、そうはいかないのが人間の社会構造の面白い所です。

 

例えば日本のトップは、まぁ総理大臣でも何でもいいんですが、恐らく貴方ではありません。県のトップでもないでしょう。市のトップでもない。しかし、クラスの委員長やら、班長ぐらいにならなった事があるのでは?

 

人間の生み出す社会は階層構造を成しています。小さな集団が寄り集まって大きな集団を形成しているという事です(あるいはその逆とも取れますが)。すなわち、ごく限られた小さな集団に関して言えば、ほとんど全ての人がリーダーシップを取るべき時を迎えることになると言っても過言ではないのです。

 

その時、貴方は人とどう向き合いますか。人の能力を「信」じて「用」いますか。人の人格を「信」じて「頼」みますか。これは単純なようでいて、「2」で述べた通り人間が関係に優劣をつけずにはいられない為に、あらゆる人間関係において問われる事だと思います。どちらが正解なのか、それは私にはわかりません。しかし、これを蔑ろにせず生きる事で人の悩みは減るのではないでしょうか。

 

そんな事を考えた1日でした。