うさ日記

憂さ晴らしに書くのかもしれません

陰キャの子、そこ退けそこ退け

おバカが通る。

 

私がこのブログを書くキッカケになった自称幼女は、最近殻を脱ぎ捨てただの大学生になりつつあります。ある意味紀貫之リスペクトとしては一貫してますね。

 

とまれ、今回は前回チラッと言及したTRPGの話でも。

 

Table talk Role Playing Game、略してTRPG!…どうでもいいですが「〜、略して◯◯!」と書くとオーキド博士が言ってる気がしませんか?…しない?あ、そう…

 

Table talkの名の通り、TRPGは面と向かって顔を付き合わせて、それぞれの役割を演じるゲームです。この世界ではオタクが百合美少女になることも、学生が教授をやることも、童貞がホストをやる事も可能です。というか、全部私がやりました。

 

その世界で超人になったり、クトゥルフの神々に慄いたりするゲームです。変わり種ではマグロ漁船に乗るなんてのもありましたね。

 

このゲームの1番の魅力にして鍵は、やはり何と言ってもお互いの会話でしょう。会話の力は偉大かつ絶大です。事前に筋書きを固定しない為に、会話の展開次第で如何様にも話が発展していくからです。かく言う美少女の私も、初めはただの銃を乱射するだけのどこにでも居る女の子だったんですが、会話の流れでガチ百合になりましたし。

 

筋書きも、プレイヤーも。全てがあやふやなままに進んでいくからこそ、誰も予想しない展開になる。そういう意味では正にキャラクターの人生の追体験とも言えるでしょう。

 

いやはや、このような稚拙な文章(正直眠くて続きが書けません)では魅力の一割も伝わりませんが、もし気になったなら、「TRPGリプレイ」と呼ばれる、ゲームの流れを物語として再構成したものを読んでみるのがいいかと思います。

 

特に私のオススメは「レッドドラゴン」。奈須きのこ虚淵玄、しまどりる、紅玉いづき、???、という一流のクリエイターを相手に、星海社が楽しませる為に本気を叩きつけた企画です。http://sai-zen-sen.jp/special/reddragon/

ここから(一部)読めます。(リンク機能しててくれ…)

続きはお近くの図書館か本屋へ。

 

もし、この文章が、ほんの少しどこかの誰かに楽しい事を伝えられたなら何よりです。

 

その声は我が友お調子ではないか!?

お調子は心の中にいます。

 

先日、「やっぱなんか創作したいよなぁ」ということで、チマチマ文字打ったり、シナリオ作成用にTRPGのルールブック買ったりしてました。

 

なかでも本腰を入れようとしてたのが3Dモデリングと、それを用いた動画作成だったんですよ。

 

音楽を聴いていると、その曲に乗った映像が頭の中で流れ出す、そんな経験、皆さんもありませんか?私は子供の頃から大抵の曲でそういう映像を作っちゃうタイプだったので、昔から漠然と映像を作ってみたい欲求がありました。頭の中の「これ」を出力してみたい!って事ですね。

 

そういう事もあって、今回映像を作ろうと3Dに手を出したのですが。

 

まず下絵書かなきゃダメじゃん…!!

 

よく考えてみれば、いやよく考えてみずとも当たり前のことでした。3面図(フロント、サイド、リア)無しで3Dモデルを作ろうなど、設計図無しで建物を建てるようなもの。まず間違いなく崩壊するでしょう。

 

そうして、ピカチュウの塗り絵の時代から逃げ続けた負債と向き合う時が来てしまいました。

 

また進捗があったら、ここで報告するでしょうね…

 

 

教養教授の授業の声。

今日も必睡の響きなり。

 

ここが思い浮かばないとブログが書けない重大なバグを抱えています。

 

普段色んなこと考えて、その中には他の人に発信してみたい物もあったはずなのに、こうしてブログを開くと書くこと思い浮かばないのは何故なんですかね?

 

それはさておき、今回は高校を卒業し、大学に入学するくらいになると、「学び」に対する考え方が二分されてくるんだなぁ、と思った話でも。

 

みなさんは「学び」と言われてどんなイメージがありますか?

学校?分かります。

宿題?なるほど。

めんどう?まぁ、確かに。

まぁ十人十色の回答があるとは思うのですが、そもそもポジティブイメージを持つ人とネガティブイメージを持つ人に大きく分けられるのではないかと思うのです。「つまらない」と「楽しい」とか。

 

ええ、言いたい事は分かります。そんなのどんなものでもそうやって分けられるだろう、でしょう?確かに「刺身」について尋ねても「不味い」と「美味しい」のネガ/ポジに分けられるでしょう。「サッカー」なら「学生時代の経験から嫌い」と「騒ぐ口実になるから好き」とかね。

 

ですが私はある店で「学び」は特殊だと思うんです。なぜなら「学び」は誰しもがその回答に拠らず、継続して来ているからです。刺身が嫌いな人は食べませんし、サッカーが嫌いな人はチャンネルさえ合わせないでしょう。でも、「学び」にネガティブな回答をした人も、一応義務教育や高校を出ているのではないでしょうか?

 

これは、ネガティブイメージを持つ人々は社会的価値に基づいて「学び」続けてきた為に、個人的意味を見出せず…という私流の解釈はくどいのでやめますが、要は楽しくないのに続ける人がいると言う点で「学び」って面白いね、という事です。

 

そこで大学入学後、という話に戻るのです。

 

いやぁ大学ってぬるい所だなぁ!と、一括りにはできないのは十分承知なのですが、残念ながら私の大学はぬるま湯です。これは一重に私の大学試験時の学力の不足によるものですので、如何ともし難いのですが…。

 

こんなぬるま湯の中では、これまで、意味でなく価値により「学び」を続けて来た人達は当然それを放り出します。そうして、色んな人の「学び」に対する考え方が自然と浮かび上がってくるんですね。

 

そういう意味でも大学って面白い所だなぁ、という話でした。

 

 

 

ただ、大学を社会人として働きに出るための通過点として(つまらない考え方だとは思いますが)捉えると、「学び」に意味を見出して続けて来た人が、「仕事」にも同様に意味を見出だせるか保証はないのに対し、価値を見出して続けて来た人は、「仕事」に対しても同様に価値を見出して、不満を抱えながらもそれに耐えて仕事を継続する見込みが大きい為、より都合はいいのかもしれません。

 

もう職業訓練校に改名してくれねぇかなぁ。けっ。

故郷や 変わらず落ち着く

あぁ^〜!地震の音ォ^〜!!

 

不謹慎ですね。まぁ、私も友人も結構な被害を受けたので、笑ってなきゃやってられへんねん。

 

それはさておき。みなさんこのブログのURLに変な数字が混ざっていることにお気付きでしょうか?usanikki「3594」…?

 

ダブり防止の数字といってしまえばそれまでなんですが、その数字は「さんごくし」と読みます。というわけで今日は、三国志の話を適当に。

 

みなさん、三国志の名前くらいは聞いたことがあるでしょう。そうです、ゲームで数千人の敵を相手に無双したり、日経電子版の広告になったり、実写映画化されたかと思えば、全員美少女化したり、SDガンダムになったりもする、あの三国志です。全部ピンときた方は私に焼肉を奢ってください。

 

少し詳しい方ならば、劉備曹操といった登場人物の名前も思い浮かぶかも知れません。三国志とは、彼らの様な英傑偉人達の物語と言えます。(「えいけつ」と打って「アイカツ!」と変換したこのスマホポンコツです。)

 

才気に満ち溢れ、怜悧冷酷なれどその器量を持って、一代で中華に帝国を打ち立てた曹操。前王朝の末裔であり、万夫不当の武人達を従えた人徳者、劉備。志半ばにして散っていった父と兄の遺志を継ぎ、忠臣達と共に道を歩んだ孫権。そして彼らを中心とした多くの武人、暴君、忠臣、奸臣、美女達の生き様、死に様を描いた物語。言うなれば銀英伝ならぬ中英伝、中華英雄伝説と言ったところでしょうか。中華4000年の歴史にまた1ページ…。

 

…とまぁカッコつけた紹介をしたんですが。なぜ私を含めた多くの人が、1800年も昔の人である彼らに魅せられるかというと、それはもう、彼らがカッコイイからに他ならないわけです。このカッコ良さに一度やられてしまうと、三国志のゲームにどハマりしたり、小説を読み耽ったり、わざわざ横浜まで出て、関帝廟(前述の劉備の義兄弟であり、死後軍神として祭り上げられた関羽という人物を祀る神社です)にお参りしたりといった行動に出るわけです。

 

(ここまでオタク特有の早口)

 

で、何が言いたいかというと、私は、こうして自分の好きなものについて話すのが大好きなオタクで、それと同じくらい誰かの好きなものについて話されるのも大好きですので、是非とも聞かせてほしい、って事です。

 

好きな物に好きと言う時くらい、大声でいたいものですね。

年中暁を覚えず。

ある友人に、「おめーも二回と書かずにブログやめるだろヘイヘイヘーイ!」と煽られたので同日2投稿します。

 

そして更に「意味分からんわ」というコメントもいただきました。至極真っ当だと思います。なんせ読み返した自分も首捻ったからネ!必死に頭いいフリをする阿呆なんぞ、こんなもんなのでございます。

 

さて、小難しい話を並べ立てて、自己陶酔でベロベロになるのは日中に済ませましたので、他愛のない話をば。

 

みなさん、自分は何オタクだと思いますか?いや、オタクである事を前提にしているのは決めつけですけども。いや、まぁきっとオタクだという事にしますが。

 

みなさんは、先ほどの問いに即答できますか?自分は、意外にもできませんでした。私のオタクの始まりはガンダムですし、「まじしゃんず・あかでみぃ」というライトノベルType-moon作品がそれを加速させた事は間違いないのですが、何か1つに傾倒しているかと問われると…。

 

実はこれって、今までの自分を振り返る事になるのかも知れません。そう思うと、意外と有意義な事なのかも。

 

なーんかまた自分の中に埋没していく、気持ち悪い文章になってしまいましたが、とりあえずこんなところで。

 

あーオタクで良かった!!!人生楽しいしな!!!!!

友達のすなる日記というものを。

私もしてみんとて、するなり。

 

早速ネタ切れなんですが、ブログを始めてみました。稚拙な文章が続きますが、読んで頂ければ幸いです。

 

実は既にこの書きはじめを2度ほど書いており、それらはあまりにも堅苦しく、論文じみてしまったので封印したという経緯があります。不慣れって怖いね。

 

ふと思えば、ブログって何を書くものなんでしょうね?今日は◯◯にランチに行って来ました〜!みたいな人格してませんし、さりとて重たい話を書いても皆さんが苦痛なだけでしょう。私がこれを書いてみようと思ったキッカケの友人は、幼女のフリしてブログを始めましたので参考になりませんでした。

 

とまれ、今回は身近な友人の話を。

 

この度めでたく20歳になりまして、ちょうど故郷に誕生日が1日違いの友人がいましたので、もう1人別の友人と合わせて3人で祝いの席を設けたのです。ぱちぱちぱち。

 

ここで人物紹介をば。1日違いの彼は田中(仮名)。私と馬の合うオタクであり、一時は双子を疑いました。最近の趣味は、ガールズバーで将棋の話をして酒を飲む事。りゅうおうのおしごと!に触発されて将棋を始めた彼は、将棋が上手くなればロリと出会えると思っています。ジョークであってくれ。

 

もう1人の友人は佐藤(仮名)。私と馬の合う友人であり、家族ぐるみでの付き合いがあります。今回のお祝いも、彼の母上がセッティングして下さったものです。最近は目覚ましを鳴らしてから3時間後に起きて、大学を自主休講するのが日課。この日も三コマ吹き飛ばして私を待っていてくれました。なんて友達思いなんだ…。

 

今回話すのはその一幕。田中に酒が入り、佐藤の母上にメイド服を着て欲しいなどと抜かしはじめる前の事です。

 

事の発端は、田中が大学の集団課題が億劫だという話でした。曰く、「バンドのライブに参加しなきゃならないが、その分事前に集団課題に貢献するのも面倒」だとか。それに対して佐藤が「んなもん始めからやらんかったらよかったんや」と指摘。寝坊で1日吹き飛ばす彼らしい、思い切りのいい発想です。この思い切りにより、彼は行く意味を見出せなくなった高校を中退し、高卒試験で大学に行っています。

 

ですが田中としては「面倒でも価値はある」との事。彼はその奇特な言動にそぐわず、意外と自分の未来のことについて考えており、「将来エロゲ会社を起業して、文化を世界に広げたい」という大望を掲げています。ん〜、まさにcool Japan

 

ここで彼らの意見が食い違うのですが、私はそれは互いが重んじるものが異なるからだと考えました。要は、田中は社会的価値を重んじ、佐藤は個人的意味を重んじたのです。

 

私が考えるに、大きく分けて人は2つの判断基準を持ちます。それが社会的価値(以下、価値)と個人的意味(以下、意味)です。価値は、常識や社会制度に基づきます。学生だから勉強する、お金には価値がある、と言ったものは価値です。対して、意味は感情や欲求に基づきます。映画を見たいから見る、愛には意味がある、と言ったものは意味です。学生は個人的に嫌でも、勉強しなければなりませんし、お金は紙切れにすぎませんが、社会では価値があります。映画は何ら生産的でなくても、見たい時には見たいですし、愛は1円にもなりませんが、当の本人には意味があります。

 

そして価値と意味は、多くの場合両立しません。価値はあるが意味はない。意味はあるが価値はない。個人差はありますが、そういうものがほとんどです。結果、人はそのどちらを重んじるか選ばなければなりません。例えば、絶望の起床時に、「大学生なので大学に行かなければ」というのが価値に基づく判断で、「眠い、無理」というのが今に基づく判断ですね。こう言った時に、どちらかを選ぶ必要があるわけです。

 

そして今回、田中は無意識に価値に、佐藤は無意識に意味に基づいています。しかし、互いにそれに気付かないので、相手がおかしな判断をしていると思っていたようです。

 

結局2人は料理が届いた事ですっかりこれを忘れるのですが、ともかく私はこれを曖昧にしてはいけないと感じました。あの時、自分はどちらを重んじ、なぜ判断したのか。それが明白であるうちは、失敗すれど後悔はしないでしょう。

 

そうありたいなぁと思った20歳最初の夜でした。

 

PS  鳥の軟骨の唐揚げが美味しかったです。