うさ日記

憂さ晴らしに書くのかもしれません

教養教授の授業の声。

今日も必睡の響きなり。

 

ここが思い浮かばないとブログが書けない重大なバグを抱えています。

 

普段色んなこと考えて、その中には他の人に発信してみたい物もあったはずなのに、こうしてブログを開くと書くこと思い浮かばないのは何故なんですかね?

 

それはさておき、今回は高校を卒業し、大学に入学するくらいになると、「学び」に対する考え方が二分されてくるんだなぁ、と思った話でも。

 

みなさんは「学び」と言われてどんなイメージがありますか?

学校?分かります。

宿題?なるほど。

めんどう?まぁ、確かに。

まぁ十人十色の回答があるとは思うのですが、そもそもポジティブイメージを持つ人とネガティブイメージを持つ人に大きく分けられるのではないかと思うのです。「つまらない」と「楽しい」とか。

 

ええ、言いたい事は分かります。そんなのどんなものでもそうやって分けられるだろう、でしょう?確かに「刺身」について尋ねても「不味い」と「美味しい」のネガ/ポジに分けられるでしょう。「サッカー」なら「学生時代の経験から嫌い」と「騒ぐ口実になるから好き」とかね。

 

ですが私はある店で「学び」は特殊だと思うんです。なぜなら「学び」は誰しもがその回答に拠らず、継続して来ているからです。刺身が嫌いな人は食べませんし、サッカーが嫌いな人はチャンネルさえ合わせないでしょう。でも、「学び」にネガティブな回答をした人も、一応義務教育や高校を出ているのではないでしょうか?

 

これは、ネガティブイメージを持つ人々は社会的価値に基づいて「学び」続けてきた為に、個人的意味を見出せず…という私流の解釈はくどいのでやめますが、要は楽しくないのに続ける人がいると言う点で「学び」って面白いね、という事です。

 

そこで大学入学後、という話に戻るのです。

 

いやぁ大学ってぬるい所だなぁ!と、一括りにはできないのは十分承知なのですが、残念ながら私の大学はぬるま湯です。これは一重に私の大学試験時の学力の不足によるものですので、如何ともし難いのですが…。

 

こんなぬるま湯の中では、これまで、意味でなく価値により「学び」を続けて来た人達は当然それを放り出します。そうして、色んな人の「学び」に対する考え方が自然と浮かび上がってくるんですね。

 

そういう意味でも大学って面白い所だなぁ、という話でした。

 

 

 

ただ、大学を社会人として働きに出るための通過点として(つまらない考え方だとは思いますが)捉えると、「学び」に意味を見出して続けて来た人が、「仕事」にも同様に意味を見出だせるか保証はないのに対し、価値を見出して続けて来た人は、「仕事」に対しても同様に価値を見出して、不満を抱えながらもそれに耐えて仕事を継続する見込みが大きい為、より都合はいいのかもしれません。

 

もう職業訓練校に改名してくれねぇかなぁ。けっ。